かつて、ここニューギニアで、16万人の日本兵が戦い、1万人しか生還できなかった。現地政府が、日本の農業教育を頼んできた。現場に入って2年、今、熱く燃える。
「ジャワの極楽、ビルマの地獄、生きて帰れぬニューギニア」悲惨だった。こんな遠くまで、日本兵は、本当に来たのだろうか、と考える程、遠い。日本から、7000キロだ。そして、悲しい歴史が残った。今、日本の1.25倍の国土に、600万人、23区より少ない人口、周りは、地球最後の原生林だ。パプアニューギニア政府は、日本を恨んではいなかった。それどころか、若き後継者の育成を、NGO(非政府系ボランテイア組織)の代表格、オイスカに夢を託してきた。
連日、検討が行われ、現地は、そう楽な地域ではないという慎重論もあったが、何としても挑戦し期待に応えようと、派遣する事を決定した。そこが、オイスカの良さだ。
このニューギニアには、オイスカの最高幹部(西日本センター)の秋重義隆氏(92才)の存在がある。氏は、ニューギニアの生き残りで、玉砕したガダルカナル、ブーゲンビル、そしてニューギニアと歴戦した指揮官だった。深い思いを込めて、趣旨に賛同してくれた。一気に、計画は浮上し、苦労人の沢井義隆氏を、派遣することにした。幸い、現地には、卒業生がいて、支えてくれる。本土から、空路1時間のニューブリテン島、県都ラバウルだった。愈々トレーニングセンターが立ち上がった。それからが、大変だった。実は、彼は、この夏のオリンピックを見ていない。いや、見れなかった。
沢井氏が、2年ぶりの帰国の報告に来てくれた。悪戦苦闘ぶりは、これから「短信・南の島に雪が降る」として、定期的に、ニュースを送って貰うことにした。この国の将来のためボランィアに専心する一日本人青年の話しを聞きたい。皆様、ぜひ、ご期待を。