戦後も64年、戦後生まれが80%に迫り、記憶の風化が進んでいる。あの日、東京下町では、市民が10万人も焼死した。都内随所で、慰霊祭が行われ、平和の尊さを痛感する。
保坂の母の実家は、江東区亀戸、64年前のこの日未明の東京大空襲で、母の両親を始め家族5人全員が犠牲になった。髪の毛1本、見つからなかった。この原点から、都議会自民党・幹事長時代に、3月10日を「東京都平和の日」と提案し、実現した経緯がある。正に、同じ江東区に実家があって全家族を失った海老名さんと同体験なのだ。
9日、上野の山では、当時、数千人の遺体を仮埋葬した現地、寛永寺現龍院内に建立された「哀しみの東京大空襲慰霊碑」前に、設置者の海老名香葉子さん(故林家三平夫人)主催で慰霊祭が行われた。続いて、上野公園内に、海老名さんが寄贈した「時忘れじの塔」前で、戦争の悲惨さと平和の重要性を語る催しが開かれた。保坂も挨拶をした。5年目になるこの催しに、全国からの1000名の参加者が,寒気の中を熱心に耳を傾けてくれた。
翌10日は、両国の東京都慰霊堂(本所被服廠跡)で、東京都主催の慰霊祭が執行された。又、当時、本堂等全塔頭(たっちゅう)を焼失した、浅草寺でも「大平和塔慰霊祭」が行われた。
この催しでも、保坂は、過去の悲惨な歴史を忘れず、平和を守ろうと熱心に訴えた。
この日、下町の随所で、慰霊祭や関連の催しが開かれ、終日、線香の煙が絶えなかった。