近代化した東京に、伝統の鳶職の半纏は、何とも威勢が良く、一幅の浮世絵だ。その殉職者慰霊祭が、今も継続され、往時を偲ぶ。
この日、浅草観音堂裏に、(社)江戸消防記念会主催の消防殉職者慰霊祭が、盛大に行われた。この慰霊祭は、遥か大正元年に、警視庁消防部の有志が、宮内省から下賜された浄財で、江戸以来の消防殉職者の犠牲的な精神を顕彰し語り継ぐため慰霊碑を建立、爾来、絶えることなく行われてきた。
江戸時代の東京は、火災が多く,2―3年に1度起きる大火だけでも、90回以上あった。特に、明暦の大火(1657年)は、江戸の大半を焼け付くし(ロンドン、ローマ火災と世界三大大火)、これを契機に、八代将軍吉宗公の時代に、南町奉行所の大岡越前守の命で、自衛消防団の町火消し、いろは四十七組が設置された。当時の消火作業は、破壊消防(出火時に、風下を破壊し、延焼を防ぐ)しかなく、多くの人手を必要とし、犠牲者も多かった。生命がけで、世界一の江戸の町と町民を守り、文字通り、江戸の華と呼ばれた。明治維新後は、市部消防組となり、戦後、消防団に生まれ変った。
そして、この町火消しの精神と伝統を守り、継承するため、公益法人「江戸消防記念会」ができ、この慰霊祭が続けられている。特に、「弥生祭」とよび、石原都知事、消防総監と共に顧問の保坂も例年出席し、殉職者の冥福を祈る。
昔ながらの纏の行進、梯子のりも披露され、時代はタイムスリップする。
今の東京に、江戸堅ぎの伝統と心意気が脈々と残っている世界が鮮やかに展開した。
「江戸ツ子は、義理と人情とやせ我慢」 正に言いえて妙だ。