政治家と言えば、永田町で活躍する国会議員をさす。じゃあ、地方議員は何なのだ。近頃、若い人の間では、地方議員で、地元や社会のため地道な努力を続けるタイプが嫌われる現象が目立つようになってきた。そういえば、この間の都議選も物語っている。若い候補者の圧倒的な強さだ。こつこつ地を這う日常活動を求めえられる地方政治家は、敬遠され、どうせ一発勝負、負けても失う物なし、回り道して区市町村議員などやっていられるか、国会か都議会に一直線だとうそぶく御仁が増えた。
その上、地味な努力の地方議員にさえ、市民の目はきつい。議員が多いとか、効率ばかり云うのなら、一層のこと、議会を無くしても、民主主義は守れると云うのだろうか。
あっさり引退した人が、やけに元気に頑張っている姿を、多く散見するようになった。釈迦に説法だが、民主主義は、お金も時間もかけねばならない筈だが。昔は、議員は死ぬまでやりたいという人が、多かった。
今日も、保坂が教えをこうため訪れた、立川市議会議長だった鳴島勇一先生(77才)は、元々の農業に復帰していた。今は、狭山茶を生産しており、最近、銀杏やブルーベリーも手掛ける。奥さんと、今日も、来年春出荷の茶畑の養生に余念が無い。色々話を聞くことができた。貴重な内容だ。先生は、72歳で惜しまれて引退、若い後継者を育てての上だ。地方政治(自治)を、本当に愛し、大事に考えている。
2年後は、統一地方選挙。候補者が少なくなっている傾向に歯止めがかからないのだ。本来、地方議員は、国政や都政の下請けに非ず、れっきとした地方政治家だ。地方分権の時代の主役なのだ。だが、今の風潮では、心もとない。もっと、回りも上も、ひざ元の政治家を育てる責任があるのではないだろうか。「でもしか議員」(議員でもやるしかない。議員しかなれない)のオンパレードだけになったら、誰が困る。