明治4年、イギリス原産の野球が、米国から上陸した。H.ウイルソンが、東京開成学校予科で教えた。
その野球をこよなく愛したのが、正岡子規。当時、松山から上京、大学を目指し共立学校(現在の開成高校、保坂の先輩になる。ひょっとすると、保坂にも俳句の素養が隠されているかも?)に入学。その後、無事、第一中学校、帝国大学文科に入学する。
この間に、野球大好きの学生となり、第一高等学校の中間庚(かなえ)が、ベースボールを野球と邦訳すると、幼名、升(のぼる)から、俳句の雅号を、野球(のぼうる)と称する懲りよう。その上、投手、捕手、一塁、遊撃手等々ほとんど命名したことは有名。その功績で、平成14年、野球の殿堂入りした。
明治23年発刊の随筆「筆まかせ」に、上野の博物館横空き地で、野球試合をしたと記し、「春風や まりを投げたき 草の原」と読んでいる。
平成18年7月、上野公園開設130年を記念し、野球場を正岡子規記念球場と命名し、子規の故郷松山から「のぼうる」チームを招いて、100年前の初期の野球を楽しんだ。
今年も、7日、中村時広市長以下選手団が大挙上京して、交換試合をした。待望のNHKドラマ、「坂の上の雲」で、子規になる香川照之さんが始球式を行い、大拍手だった。
今年の野球の話題の極めつけは、「坂の上の雲」の放映が始まることだ。3年にわたる大作だ。秋山兄弟と共に、子規は主役並みの登場人物として近代日本の立役者として描かれる。
そして、子規が松山出身の俳人で高弟の河東碧梧桐に野球を教え、碧梧桐が帰郷して、野球を広め、後に野球王国・愛媛の「野球の父」になるから面白い。
とにかく、野球は面白い。因みに、保坂は、都議会も参議院も、野球部監督だった。