保坂さんぞうの活動速報

巨星落つ。伊豆諸島出身の川島忠一都議が急逝した。つい7月の都議選に見事七選を果たして。都議会自民党は、大敗北の上に難しい島しょ問題の救世主を失った。

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△ 川島都議は、一番愛した都議会議事堂で最後のお別れ。多くの関係者が、涙で見送った。

週末、都立駒込病院に入院加療中の、元都議会議長の川島忠一氏が、62歳という若さで亡くなった。つい7月の都議選は、国政の犠牲となって多くの有為の人材を失った選挙だった。

しかし、伊豆諸島・小笠原諸島選出の川島議員の選挙は、一寸の揺るぎも無かった。流石だ。小生も、大島の総決起大会に応援で参加した。ご本人は,自信に満ち、思い起こせば、人生の総括の様な趣旨の大演説だった。

まさか、4ケ月後に身まかられるとは。

先生は、野球が好きで、村議の時代に、都議会野球部の合宿を、大島に毎年受け入れてくれた。そして、村議会と親善試合を行い、夜は懇親会で島の焼酎を飲み交わして肝胆相照らした。忘れられない若い川島先生がそこにいた。

その後、大島・三原山大噴火の直前の昭和60 年、都議に当選した。それまでは、大島と八丈島が覇を競うように、交互に議員を当選させたが、川島時代に入り、超安定し、連続7回当選を続けたのだ。

土台、島嶼の行政は、内陸部と全く異なる行政支出が必要だった。勿論、費用対効果など考えられない。とにかく、日本領土最南端の沖の鳥島から、本土から1000キロ離れた小笠原まで、有人島13島に30000人が生活する。台風や火山の噴火、そして離島、ハンデキャップは大きいが、国境問題であり、資源問題の最先端だ。

全島の保守系議員で「川島会」を結成し、常に団結し、時には内地を視察し、交流を深め、愛するそれぞれの島の発展に尽くしている。正に、川島都議は、その要となり、出身の大島だけでなく全島分け隔てなく,良く面倒を見たのだ。

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6日、都議会正面で霊柩車が止まり、お姉さんが付き添ってお別れをした。保坂も出席し、議長を始め多くの都議諸侯や都庁職員と涙を共にした。

又、8日、大島、海中寺で厳かな告別式が執行され、保坂も竹芝桟橋から急遽焼香に駆け付け、ご遺族、後援会の皆さんと火葬に立ち会った。総ての島々の代表が臨席した。

補欠選挙は、明年1月に執行されるが、日本中の200海里の経済水域の47%を守り、3万人の命を守る選良を選ばねばならない。何ともやるせなく、つらい選挙だろう。

既に、民主党のM衆議院議員が来島していた。まるで、火事場の何とかだ。もうちょっと、静かに、遺族の気持ちを慰める時間にして欲しいものだ。

川島都議が人生をかけた島々が、今後、行政や政治に混乱を来たさないことを、ひたすら祈るばかりだ。

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