保坂さんぞうの活動速報

戦後65回目の東京大空襲の悲しい記念日。家族を一度に失った先代三平師匠夫人が、一門挙げて慰霊祭を挙行。長崎広島に匹敵する大惨事が、風化しつつある。

« 前の記事活動速報一覧次の記事 » saijiki100330_6.jpg
△ 悲しみの歴史を持ったり平和を希求する人々が、海老名さんの呼びかけで全国から集まった。

沖縄県で、米国・海兵隊基地の移設をめぐって、鳩山政権が迷走を続けている。

日本は、戦後65年間、戦火に見舞われることが無かった。これだけ長い間、平和の時代が続いたことは、日本の歴史で初めてだ。それだけに、先の大戦で、日本の今日のために身命を尽くした先輩国民への感謝を、決して忘れてはならない。

saijiki100330_3.jpg
△ 時忘れじの塔
 

春未だ浅い9日、本土で最大の犠牲者を出した東京下町で、65回目の戦災慰霊祭が行われた。翌10日には、墨田区の東京都慰霊堂、台東区、浅草寺等々で慰霊祭が執行され、一日中、線香が絶えなかったが、その前日に、上野の寛永寺で「悲しみの碑」慰霊祭と、上野公園内の「時忘れじの塔」での平和祈願集会が厳かに行われた。

昭和20年3月10日、午前0時07分に深川から始まったB29爆撃機325機による空襲は、午前2時37分に撤退するまで僅か2時間半で、非戦闘員の都民10万人の生命、財産を一瞬にして奪いさった。広島、長崎に匹敵する大惨事なのだ。

この空襲で、両親と弟の家族を失った、先代林家三平師匠の夫人、海老名香葉子さんが、自費で2基の祈念碑を建立し、毎年、慰霊祭を行っているのだ。この間の経緯については、小欄(昨年3月の写真歳時記)をご参照願いたい。

この事業は、毎年、悲しい思い出や平和賛歌のうねりが後退していると危惧する海老名さんの精一杯の努力の結晶なのだ。全国から呼びかけに応じてくれた人々が、寒空の中、「海老名さんがんばれ」「来年も来るよ」と涙しながら励ましてくれた。

saijiki100330.jpg
△ おかみさんの海老名香葉子さん

保坂も、母の実家の家族全員を、江東区亀戸で失った遺族だけに、この事業には、寛永寺執事長の浦井正明住職と上野観光連盟会長の二木忠男さん等と共々、最初から協力してきた。

 

海老名さんは、今年76歳、全くお若く見えるが、昨年、体調を害して周囲を驚かした。師匠が没した後、30名の弟子を育てた肝っ玉おかみさん、いつまでも、元気で、この事業を続けて欲しいと、参加者全員が心から祈った。

ページトップへ