実は、小生の母校、台東区立忍ヶ岡小学校も、関東大震災(1923年・大正12年)の直 後に建てられた復興小学校だった。優雅で東京市のモデル校といわれた校舎だった が、昭和20年3月10日の東京大空襲で全焼した。仕方なく、解体、新築となった。
それにしても驚くべき強固な基礎だった。しかし、文化財として守りきれなかった思いを、隣接の黒門小学校で果した。同じ、復興校で明石小の5年後の改築だ。
台東区は、全面保存で耐震構造を施したリニューアル化、見事に蘇せた。今年秋、100周年の祝賀会が、その校舎で行われる。
都内には、関東大震災後、子どもを絶対に守るための震災復興校舎を117棟新築した が、今、現存するのが1割となった。中央区の明石小学校は大正14年改築された復興 校の原点といわれる存在だ。
区は20年前から改築を検討していたが、卒業生や、存続を求める関係者の願いも届かず、安全性と教育環境改善のため改築を決定した。解体が始まったのだ。
7月には、日本建築学会が絶対存続を求める要請があったばかりだが、区議会も既に、解体・全面改築の決定をし、手続き上瑕疵はない。地元区が苦渋の上、選択した結論なので、あれこれ言いにくいが、日本橋周辺の修景復活に意欲を見せる中央区だけに、何か、知恵は無かったのだろうかと、引っかかるものが残る。