ラバウルからの便り

ラバウルにも押し寄せる近代化の波

« 前の記事記事一覧

しばらくの間、便りが途絶え久方ぶりの便りとなってしまい、申し訳ありませんでした。現地の状況を報告させていたできます。

rabaul090709.jpg rabaul090709_02.jpg rabaul090709_03.jpg rabaul090709_04.jpg

ラバウルの町は、1994年に3つの火山が同時に爆発したため、すべての住民が避難して、無人の町と化しました。その後、一部住民が戻ってきて、町の半分の地域が復興しましたが、未だ半分はイタリアのポンペイの如く、灰に埋もれたまま、廃墟の町となっています。そのため今では東ニューブリテン州の中心はラバウルから30km離れた「ココポ」の町に移り、飛行場もココポから10km離れた「トクア」という所に移っています。

私がいるオイスカラバウルセンターは、ココポから約20km離れた場所「ワランゴイ」にあります。以前は悪路で行き来が大変だったのですが、4年ほど前に、ワランゴイからココポまでの道が舗装され、車で25分、快適にココポまでいけるようになりました。町が近くなったわけです。それでもオイスカセンターは、一般電話が通ぜず、各国にあるオイスカセンターの中でも一番連絡が取りにくいセンターです。当然インターネットやFAXも通じません。インターネットを行うためには、パソコンの充電をフルにして町まで持って行きます。町でコンセントを使おうとするとコンセント使用料として日本円で400円支払わなければならないからです。そして、ある特定の場所、インターネットアンテナがある半径100m以内に車を止め、充電が持つ間に作業を行います。大変遅い通信環境で、スピードは 5〜10 k bpsという時もあり、写真等大きなサイズのファイルをダウンロードするだけで45分〜1時間かかることもあります。行けば必ず通じるのであれば問題はないのですが、システムダウンといって町中どこにいっても通じないこともあります。

この2年ほど前から携帯電話が爆発的に普及し、センターでも通話ができるようになりました。多くの研修生達も携帯を持つようになったのですが、コンセントが少なく、また、今まで衣料や食料、石鹸など生活必需品に使っていた小遣いを電話代に回さなければならなくなり、皆苦労しています。携帯に付いているゲームに夢中になりすぎる研修生も現れ、多くの弊害が出てきています。昔ながらの生活で満足していたところに新文化が入り、皆戸惑っているのが今の現地の人たちと言えるでしょう。

さて今年に入って、ニューギニア本島の中央部、ハイランド地域にて、天然ガスや石油等の地下資源利用プロジェクトが開始されることが、大きな話題となり、今年の5月、ココポでパイプラインを引く地域の土地借用交渉会議が行われました。当初10日間で終えるつもりが1ヶ月かかり、政府や資源開発会社と、地権者が激しく議論を交わした会議です。オイスカセンターにも地権者代表44名が宿泊し、世話をしました。ココポに集まった約2000人の地権者を代表する立場にあった人たちです。当初、思いがけない多額なお金が舞い込むとあって皆鼻息は荒く、夜遅く飲んで帰ってくる、ゴミを散らす、トイレを汚く使う、センターのルールを守らない等、色々と迷惑することがいっぱい出てきました。しかし1ヶ月間の滞在でオイスカが行っている若者教育、特に規律が保たれ、夜遅くまで一生懸命働く姿を目の当たりにし、オイスカの教育に強い関心を示すようになりました。オイスカスタッフ達も彼らにオイスカスピリットを説明し、お金には換算できない大切なものがあり、お金を得ることによって失いがちな、固有文化の継承、青年教育の重要性を再認識したようです。

今後、この地下資源利用プロジェクトは、多くの企業や先進国が絡み、日本でも話題になってくるかもしれませんが、その地域の人たちの固有文化や心を無視し、拝金主義を増長するプロジェクトにならないよう、パプアニューギニアに住む一人として願っています。

 

sawai.jpg
執筆者プロフィール
澤井 勝之:岐阜県出身。中野学園(現オイスカ高校)卒業後、昭和52年オイスカ入り。中部センター・四国・青森・静岡など各地で組織を担当。またオイスカ高校で10年農業指導、本部でも3年勤務。05年4月より万博推進室部長として再び中部センターへ。平成18年12月パプアニューギニア・ラバウル研修センターへ異動。現在、同センターの所長を務める。

ページトップへ