「愛犬ラッキー」が、静かに息を引き取った。息子が、会社を早退して、嫁にいっている娘2人が、飛んできた。シーズー種で、6キロ、茶と白のぶち、どうゆう訳か受け口、16年間、人を噛んだことなし。主治医から、気立ての良い犬だとお墨付きを貰っていた。世に、「親馬鹿」と云われれば、その通りだが、「ほえない、噛まない、毛が抜けない、臭わない、食べ物にいやしくない、下の性が良い、エトセトラ」参りました。チベットにルーツを持ち、何千年もの間、人間に愛されるように育ってきたとしたら、悲しいくらい愛おしいことだ。
彼が、私の家に来たのは、私の最後の都議選だった平成5年6月27日(日)の投票日だった。20歳になった娘が、初めて、父に投票できると、嬉々としてついてきた。地元の学校に入ろうとすると、投票が終わった知人が出てきた。「あーら保坂さん、縁起がいいわ。可愛い犬要らない?」と、バスケットの蓋を開けた。これが、愛犬ラッキーとの運命の出会いであった。
我が家は、大の犬好きの両親が、スピッツの雑種「エス君」を、15年間飼っていた。最後は、交通事故で失い、家中で泣いた。両親は、犬を飼おうとは、再び言わなかった。今になって、両親の気持ちが分かる。
バスケットの中の3匹、真っ黒な可愛い児もいたが、娘が選らんだのが、何とも愛くるしいラッキーだった。しかし、母の賛成は絶対だめだ。3日間預かる約束で、子供達に勝負させた。諦めさせるつもりだった。ところが、3日経っても、泣き声一つなく、忘れていた程だ。返す日が来て、娘たちが、パパの当選を運んで来てくれた犬は返せない。名前も、ラッキーと決めてあるときた。それからだ、母に、恐る恐る見せると、ほえもせず、小さなシッポを、ちぎれる程振って、母の鼻をなめた。勝負あった。それから16年、娘2人は、嫁に行き、息子も、アメリカに長くいた。私達夫婦は、年中家を留守にして飛び回っていた。93歳まで健在だった母の唯一の子供は、ラッキーだった。母は、目を閉じる間際まで、「散歩に行かねばと」つぶやいていた。
今、忙しく帰ると、迎えるラッキーがいない。何だ、この寂しさは。荼毘(だび)にふすための準備が進む。昨晩から、泣きっぱなしの小学2年の孫が、ラッキーが、おばあちゃん(我が家では、妻は、ママちゃん。小生は、ジージー。不公平だ)の所に、迷子にならないように、真っ直ぐに行けるようにと、前足にお守りをつけてくれた。ついこの間、自分が迷子になっていたからか。孫が、優しく育っていることを、愛犬が、今、教えてくれている。この児は、慈しみの心を、生涯忘れないだろう。
今、一番気落ちしているのは、妻だ。犬の16才は、人間の100才だ。両眼が、白内障で、見えなくなって、耳も聞こえなくなった.それでも、おしっこを、教えて吼えた。散歩も、させていた。最後は、立てなかったし、お漏らしもした。妻の仕事だった。
妻は、子供を失ったように憔悴している。私も、そうだ。
娘が、張り紙を、窓に張り出した。我が家のラッキーは、近所では、その位な、有名人だった。良い児だった。