有馬朗人先生が、参議院議員で政界に進出されてくるとは、思いもよらなかった。元東京大学総長で、物理学者で、作家で俳人の有馬先生は、当時69歳だった。参議院比例区で、堂々当選され、文部大臣に就任され、半年後に、科学技術庁長官も兼務された。議員に、教え子が多く、心なしか、与野党の議員が、質問には遠慮の気遣いを感じた。さすがと言う存在感だったが、大臣を降り、今度は、一般の議員と同じ部屋で、国会対策副委員長を勤められた。朝早くから出てきて、任務をしっかり果された。小生も,親しくご交誼を戴いたが、時間があれば原書を読まれ、アンダーラインを書き込む、原稿を書く、とにかく、忙しい方だった。そして、些細な、時には、下らない話題にも関心を示し、気さくに会話に加わってくれた。素晴らしいお人柄で、政治家として時間を費やすにはもったいないと思った。その後75歳で引退され、本業に戻られ,現在80歳、学者として、科学技術館長として、又、俳人としてなお元気に活躍中だ。
そうそう、過日、日本経済新聞で、先生の随想を拝見した。ハンセン病に関する題材だ。小生も、つい先頃(3月)ハンセン病の調査のため、資料館を訪れていた。まさか、先生がという感慨と、先生が受けられた印象に,余りにも共感を持ったので、お許しを得て、転載することにさせて戴いた。小生の小文の掲示は、別記、「写真歳時記」。
東京都東村山市にある多摩全生園に隣接する国立ハンセン病国立資料館を訪ね、ハンセン病のため隔離されて長年にわたり苦労された人々の話を聞いた。筆舌に尽くしがたい苦労と悲しみを改めて強く感じた次第である。
外国に比べて日本は徹底的に隔離政策を取った。しかも、1943年スルホンアミド(プロミン)の開発以来、化学療法の時代に入り、治療に劇的な効果が見られるようになったにもかかわらず、53年に「らい予防法」を公布して絶対隔離の方針を継続したのである。96年にやっとこの法律が廃止されたが、もっと早く廃止して、化学療法をどんどん進め、治療した人々を積極的に社会復帰させるべきであった。
結核と同じようにハンセン病も病原菌によって発病するが、化学療法でほぼ完全に治療する現在、元結核患者といっても恐れないように、回復者を恐れる必要は全く無い。にもかかわらず、社会復帰できずに、全国の療養所に生活している入所数は、現在も2584人もいて、平均年齢は、80.2歳という。
その人々の希望を聞いたところ、その一つは、生家を訪ね、故郷の山川を見、親族の墓参りをしたいということであった。家族の人々は、かって、患者が法律により、強制隔離されていったという悲劇に遭い、近隣より差別を受けた辛い経験から、未だに回復者を迎える事をためらう傾向があるらしい。むしろ、偶然会った小,中学校の友人が「生きていたのか」と喜んでくれるという。回復者の方々を故郷の友人や知人が積極的に歓迎し、生家が大手を振って迎え入れ、一緒に墓参りできる雰囲気を一日も早くつくれないものであろうか。