明治維新の東京は、江戸幕府が終焉し、人口が100万人を割った。その後、首都の地位が確立し、多くの人材が全国から集まり、東京は膨張していった。
その中で、最も、多くの人材を送り込み、東京ッ子を誕生させたのが、新潟県からの来京者だった。いわば、新潟県そのものが東京の揺籃期に貢献したのだ。
その時、新発田から上京、鰹節問屋の丁稚から身を起こしたのが大倉喜八郎氏だった。明治13年、成功した大倉喜氏などが中心になって発足させたのが、「北陸親睦会」で、後の新潟県人会だ。
大倉氏は、東京商工会議所を渋沢栄一氏と結成、東京電灯(東京電力)、帝国ホテル、帝劇、サッポロビール、アサヒビール、東京経済大学を起こした明治の最大の功労者で、故郷に錦を飾った代表者なのだ。
その東京新潟県人会が、今年、創立100周年を迎え、記念大新年会が新高輪プリンスホテルで開催された。飛天の間に1500人が着席、東京中からの希望者を制限したのだが、流石にはみ出てしまった盛大さだ。
10代目会長の平 辰氏は、佐渡出身、現在930店舗の居酒屋を全国展開する、庄やグループ(株)大庄、社長だが、会長自ら陣頭指揮をとる熱の入れようだ。
先ず、宮田・東京芸術大学長の揮毫「光」でオープニング。宝生流・能狂言などあんこを入れ、2時間に及ぶセレモニーが展開された。新潟県知事・泉田裕彦氏、ニューヨーク新潟県人会・大坪賢次氏もかけつけて、さながら、新潟県が移ってきた錯覚を覚える。
保坂は来賓で招かれたが、母が長岡市、妻の岳父が、同じ長岡市の出身なのだ。越後の血が流れている。県人会とは、何とも不思議な世界なのだ。
尚、100周年事業として、5月に新装成った新潟スタジアムで、県内初のプロ野球公式戦「巨人vs横浜戦」が、東京新潟県人会の貸切で行われるが、もう、前売りは売り切れだとか。又、9月24~26日、「新潟県人会大交流祭」新潟市内の朱鷺メッセで行われる。
東京は、江戸の時代から、3代続いた江戸っ子は、3割しか居なかったそうだ。そう云えば、田中角栄元総理は、毎回、新年会に出席されていたが、真紀子ご夫妻の姿は全く見たことが無い。本当に、郷里を愛されているのやら。
尚、越後人の県民性は、「頼まれれば、隣村まで、餅つきに行く」だ。
私たち夫婦の血の中にある県民性が疼いてならない思いだ。