私の決意に対し、某週刊誌のコラムで、「参議院選に落ちて、地方政治へとは、 未練がましい」と書かれた。普通なら頭にくる。しかし、今回は違う。元々、これら の反論を想像していたからだ。その上、狙ったとおりの指摘で、問題提起となった し、この殻を破るための選択なのだ。
そもそも、国政が上で、地方政治が下とは、誰が決めたことなのか。明治維新の際、 中央政権で国をまとめた。お上vs.大衆の下々、この構図は、正に、近世の社会の延 長なのだが、実効性がある。国の下に地方、国政の担い手の下に地方政治家が存在し て、上から守られているとう。正に長いものにまかれろだが、しかし、この親方日の 丸の発想を破らない限り、真の地方の時代は来ない。地方政治の近代化もない。名古 屋でも大阪でも、その動きが出ているではないか。
又、若い政治家が主役という昨今の政界では、年配のベテラン議員の出る幕がないの ではないのか。これまた、考えさせられる課題だ。
有権者の内、65歳以上の率は、30%を超える人口動態なのに、若し、立候補に年齢制限を入れろと言うご仁は、勇気を出して、投票権にも年齢制限を入れて、年を取った ら立候補も投票もさせないと断言できるか。私は、これらの問題を、再考して欲しい との思いで、今いる。
民主党の内乱を見ると、どうも、時の氏神や、行司の様な調停役が存在しないように 見えてならない。民主党は、若くて優秀な政治家集団だが、「俺も、俺も」で自分の世界を破れない、他人に配慮できない浅慮ばかりが目に付く。
馬鹿がいないのか、馬鹿になれないのか。「亀の甲より年の功』は、死語なのか。ベ テラン軽視で、現代版・楢山節考を考えさせられる民主党の実情だ。
又、そもそも政治家は、人のために汗をかくのが当然の責務なのに、その人すら見え ない。自分を支持する有権者のみが人ではなく、隣の政治家も人だ。ただし、金をま いて鼓舞する指導者には、一目も二目も置く、封建時代の主従の擬似人間関係さえ見 得て、これまた驚く。民主党にも、自民党にさえ多く存在する傾向は消えない、実利 主義なのだ。これでは、対等の横のつながりが育つ筈がない。
何と、マスコミの社会観にさえ同じ価値観があって驚いた。
政治家として、社会に尽くし、未来に、成果を残したいと考えるのは、自然の摂理 だ。磨かれた感性には、他に負けない自信がある。
「残るのは、井戸と塀だけ」でも構わない政治家がいることを知ってほしいだけだ。
地方の政治も、変わって欲しいと願って、小生の新たな挑戦が続く。